法話
2022/03/19
2022年03月19日放送
中国唐の頃、趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)禅師がある僧に対して「汝は十二時に使われ、老僧は十二時を使い得たり」と示されました。十二時とは今で言う二十四時間のことです。私たちは知らず知らずに時間に振り回されています。人生の主人公は自分自身であるはずなのに、時の流れに追われてしまって、そちらに支配されていることを十二時に使われると言うのです。対して、趙州禅師は「十二時を使いうる」つまり自由自在に生きているということです。時は流れているように見えますが、それは錯覚です。刹那刹那に変化する無限の連続性が時を創り出しているのです。であればこそ今この瞬間瞬間に全身全霊を傾ける、即今即時、今なすべきこと、なさねばならぬことに誠実に向き合い実行してゆかなければならないのです。
しかし現実の人生は四苦八苦。苦しみの連続です。思うままにいかないことがほとんどです。次々に巡り来る不幸や災難に己を失い右往左往してしまいます。それでもなお、今ここにこうして生きているのは私自身に他なりません。
どのようにこの貴重な今を過ごすのかは己の気持ち、願う心次第です。
さて今日も一日が始まりました。今日の一日をどのように過ごすか、どう過ごさなければならないのか。
あなたの今日の一日が、素晴らしいものになることを心から切に、切にお祈り申し上げるものであります。
札幌市 真龍寺
飯田 整治
飯田 整治