おはようございいます。由仁町 常福寺 山川 大順です。
五歳になったばかりの息子は今日も元気いっぱいです。
突然静かになりました。ふと気になって息子の方に目を向けると、目が合いました。今まさにいたずらをするところです。息子はニヤッと笑い、ゆっくりとイタズラをやめたのでした。
さて、息子はなぜニヤッと笑ったのでしょうか?
それは自分が悪いことをしているのをちゃんとわかっていたからです。してはいけない、わかっているけどしたい。でもやっぱりしてはいけない、そう気づき、ニヤッと笑ったのです。
私たちは皆、「ほとけごごろ」の種を持っていると言われています。ほとけごごろとは一般的には慈悲深いこころ、という意味で広まっています。
しかし、先ほど息子自身の内側から聞こえてきたであろう声。それもまた「ほとけごころ」と呼びます。ほとけごごろとは正しい心のことです。
自分のわがままを一旦横に置いて、今すべきことをする時、そのほとけごころは少しずつ膨らんでいくと言われています。
私たちは座禅をしますが、この座禅もそうです。自分のわがままを一旦横に置いて、ただ静かに座ります。そうしてほとけごころが膨らんでいくのです。
わかっちゃいるけどやめられない。ちょっと今できない、したくない。というのは誰しも経験があるはずです。「わがまま」と「ほとけごころ」のぶつかり合い。わがままを優先すればわがままな心が膨らみ、すべきことをすればほとけごころが膨らみます。
ではなぜ、ほとけごころが膨らむといいのでしょう?
それは今すべきことを、今できるから。その最たることは、今目の前にいる大切な人を、今大切にできるということです。
私は学生時代、母を亡くしました。母が亡くなった時、私はとても後悔しました。なぜもっと「ありがとう」や「ごめんなさい」を言えなかったのか。なぜもっと仲良く楽しく過ごせなかったのか。しかしもう面と向かって話す事もできません。わかっちゃいるけど言えない、できない、私のわがままを優先した結果でした。
だからこそ、今改めて。大切な人が今、目の前にいるうちに、大切にできますように。
私はこれからも座禅を続けていきたいと思います。
山川 大順