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殺さしめてはならぬ

法話   2021/04/10
2021年04月10日放送

おはようございます。札幌市 真龍寺 飯田 全祥です。
このラジオをお聞きの皆さんは暴力を受けたことはありますか
私は過去に暴力を受けたことがあります。私の場合、過去に目上の人より受けました。ひょっとするとその人からしては私に対してそれ以外に積み重なることもあったのかもしれません。殴りに殴られ、顎の腫れた私は顎の痛みからご飯を食べることができず、悔しいやら悲しいやら不甲斐なさや様々な感情の渦に飲まれました。
このラジオをお聞きの方も「そういえば昔悪いことをして叩かれたことがあるな」「理不尽な暴力を受けたな」という方もおられることでしょう。
この様に様々な形で姿を表す暴力ですが、果たして全て正しいものだったのでしょうか。家族がしたように、自分より年上の人がしたように、自分も暴力を行って良いことなのでしょうか。
私は暴力を受けた経験から、未来を作る子供や後輩が何か間違いをしたとき、暴力の代わりとして分かるまで教える、分かるまで何度でも何度でも付き合う、そのようにしております。
確かにどんなに教えても覚えられない、失敗をしてしまう。そんなこともあります。それでも何度も教えるたびに、だんだんと「可愛い人だな」と思い失敗を許し、互いに笑って終われるようになります。
お釈迦様の言葉で「すべての者は暴力におびえる。すべての生き物にとって生命(いのち)は愛おしい。己(おの)が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」という言葉があります。
曹洞宗のお坊さんは「不殺生戒(ふせっしょうかい)」、つまりは「殺してはいけない」という意味の戒律を守ります。これは生きとし生けるもの、それがたとえ自分自身であっても殺してはいけない。破った場合は最も思い罪となる戒律です。
暴力や殺生は相手も自分も同じ生きとし生けるものなのに、それを忘れた時に起こってしまいます。
もしこのラジオをお聞きのかたで、今が辛くて自ら命を絶とうと思っている方、怒りで握りこぶしを作っている方、今一度手を開き合わせ合掌をしてみて、許すことが出来なくともその気持ちを、違うことをするエネルギーに変えられないか、何としても生き続ける方法はないのか、何が人を幸せにするのかを考えてみませんか。

札幌市 真龍寺
飯田 全祥

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