「はづべくんば明眼の人をはづべし」
曹洞宗を聞かれた道元禅師の語録をまとめた書物に『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』というものがございます。その冒頭に、
「はづべくんば明眼(みょうがん)の人をはづべし」とあります。
「はづ」というのは「気にする」という意味、「明眼の人」というのは「物事の道理をよく見通せる人」という意味です。
「はづべくんば明眼の人をはづべし」
つまりこれは、「批判や評価を気にするのであれば、物事の道理をよく見通せる人からのことを気にしなさい」という意味になります。
この世の中で生じる問題の多くは、人間関係によって生じると言われております。人にどう見られているのか、人からどう評価されるのか、それが気になって思っている事が言えない、思ったことが出来ない。という方は多くいらっしゃることと思います。
更に今の時代ですと、パソコンやスマートフォンを使いインターネット上で、いつでも誰でも何にでも自由に評価出来る時代です。名前も顔も知らない人から評価され、それによって喜ぶ事もあれば、ガッカリする事もあるでしょう。自分では素晴らしいと思っている事が、くだらないと言われる事もあるかもしれません。匿名での心無い言葉に悲しむこともあるかもしれません。
そんな時こそ、「はづべくんば明眼の人をはづべし」です。逆に言えば、物事の道理をよく分かっていない人の批判や評価は、気にしなくて大丈夫。ということです。たとえ批判されても嫌な事を言われても、その人が物事の道理をよく分かっていないのであれば、その言葉自体が間違いかもしれません。大切な事は、様々な人の言葉に一喜一憂するのではなく、物事の道理をよく分かっている明眼の人の言葉を気にしてゆくということです
「はづべくんば明眼の人をはづべし」を忘れずに、気にする時は気にする、気にしない時は気にしないようにしてゆきましょう。
小野 隆見