「幸福」
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朝に生まれ、夕に死すとは、人の命の儚さを言った言葉ですが、目まぐるしい世の中では、死の対極にある生きていることの大事さ、ありがたさに思い至ります。
西洋でこの様な諺があります。「人生にとって幸福な音が三つある。一つ、夫が家にいて、静かに本を読んでページをめくる音。二つ、その傍らに妻がいて、何かを作っている音。三つ、その夫婦の側で、子供が元気に遊んでいる音。」
夫はテレビの野球を見て、妻は台所で野菜を刻み、子供はオモチャで遊ぶ。このような光景はどこの家庭でもあり、取り立てて幸福感というものではありません。
しかし、この平凡なことが、実は、最高に幸せなもの、幸せな時間だったのだと気付くときがあります。それは、それらのうち、誰かが欠けてしまって、もう会えなくなった時です。失ってはじめてそのことが、自分にとって一番幸せな時間だったということがあります。皆様方は、今まさにそれを感じておられると思います。当たり前のようにそこにある。だからそれがその時には幸福だと気付かない。
そうだとすると、こんなことは身の回りにいっぱいありますね。体が動くこと、家庭があること、働く場所があること、そして何より生きているということ。 それは全て大きな幸福なのです。しかし、それはいつなくなるかは分かりません。ですから本来はもっと幸せを感じるべきなのでしょう。
「果報は寝て待て」という諺があります。幸運を求むるには焦ってはいけない。待っていれば自然とやって来るもの、という意味なのでしょう。また、幸運に巡り会った者、運が強い者を果報者(かほうしゃ)と言います。仏教では因果応報ということを説いています。因果とは原因に対する結果ということで、人の行いや考え方によって良い結果も悪い結果も出るということです。感謝の気持ちを持って生活すると、幸せという結果が出るようです。
上野 峰弘
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