「安心」
これは私が友人のTくんから聞いた話です。
ある日、Tくんの元に一本の電話が入りました。
『じいちゃんが危篤だからすぐ病院へ行ってくれ』
Tくんは急いで病院へ向かいました。
『じいちゃん!来たよ!』
病室にいるおじいちゃんは意識はあるものの不安そうな表情に憔悴しきった様子。
しばらくの沈黙のあと、Tくんは恐る恐るこんな質問をしてみました。
『じいちゃんさー。今、何か見える?』
するとじいちゃんは一言。
『…。母さん来てる…。』
『えーーー!ばあちゃん来てるのーー!?』
先立って亡くなったおばあちゃんが見えると言うのです。
すっかり驚いたTくんは更に質問を続けました。
『そしたらさー、お釈迦様とかそういった類の方とかはどう?』
するとおじいちゃんは
『…来てる。お釈迦さん見える…。』
Tくんはそれを聞いて安心し、こう言いました。
『そっかー。したらじいちゃんさ、死ぬの恐いかもしれないけどさ、お釈迦さまもいるし、ばあちゃんもいるし、実はちょっとだけ楽しみでしょ?』
するとさっきまで不安でいっぱいだったおじいちゃんの顔は、スッと穏やかな安心した顔になり、
『うん』
と静かに頷きました。
Tくんは最後にこう言いました。
『そっかー。俺、じいちゃん死んでもお線香もあげるし、ちゃんと弟と妹と一緒にお経も読むからさ、安心してね!』
おじいちゃんは少しだけ嬉しそうに頷きました。
そして数日後、おじいちゃんは静かに穏やかに息をひきとりました。
おじいちゃんはなぜ最期に嬉しそうな顔をしたのでしょう?
お線香やお経をあげてくれるからでしょうか?
恐らく全て含めて、これからも自分のことを思い出してくれるんだ、大事にしてくれるんだ、と安心したからではないかと、私は思います。
Tくんのおじいちゃんのご縁で今私も改めて亡き人を思い出し手を合わせます。
山川 大順