「恵まれた一日を生きる」
法話
2015/09/05
2015年09月05日放送
私は毎朝、目が覚めたときにその一日が佛の教えに適った一日であるように、そのつど目標を立てて日々を送っています。
と言うのも実は昨年、私は生涯で初めての入院を経験し手術を受けたのですが、大袈裟にも「手術が終わってもこのまま目を覚ませないかも知れない。起きられる保証なんて全くないんだ…」と、とても弱気になっていました。
お蔭さまで無事に目を覚ませたので、今こうしてお話をしていられるのですが…。そのときは四十度を超える高熱で朦朧としながらも、目を覚ませてまた檀信徒の方や親類とお話しができていることが何と嬉しかったことか。
それからは日常の生活に戻ってからも、毎朝、目を覚ませることは当たり前のことではなく、とてもありがたいことなのだと思うようになりました。若い頃には、健康だったときには全く感じたこともなかった感覚でした。
朝になれば目が覚めて、起きて歯を磨いて、顔を洗って、いつもと同じ何ら変わらない毎日であっても自分自身の感情や都合で勝手に決めていた「楽しい日」や「嫌な日」であっても与えられた恵まれた一日を昨日よりも良い今日にできるのは自分自身なのだということに氣付かされたのです。
私たちは皆、己の中に素晴らしい生き方ができる可能性を備え持っており、そこに氣付いてより良い生き方ができる善き機会に毎日恵まれています。
昨日の自分を顧みて反省をし、新しい今日を迎えられたことに感謝をし、恵まれた一日をしっかりと生きようではありませんか!
士別市 弘清寺
藤村 克宗
藤村 克宗