「芽ぶく季節に」
法話
2015/05/09
2015年05月09日放送
私事で恐縮ですが、このたび長男が得度(とくど)を行いました。得度というのは髪を剃り、戒法をさずかり仏陀の弟子として、正しい道を歩んで行く決意を明らかにする儀式で、僧侶としての第一歩を踏み出すことになるのです。まだ小学生の息子にはこれがどれだけ重要で、意味のあることなのかは分からないようでしたが、少し緊張したその横顔は凛々しくもあり師匠となる私もまた、身の引き締まる思いでした。
私が得度をしたのは、だいぶ遅く二十代になってからでした。それでも僧侶になることを決意した頃は「人々のためになる立派な僧になるぞ」と純粋に思ったものです。ところがその初心は何処へやら、お恥ずかしいぐらい、今では衣だけがかろうじて僧侶としての面目を保っているだけの、普通の人になっている自分に気がつくのです。
永平寺七十八世の故宮崎禅寺様は一日の真似事を一生続けたらそれは本物になると言われました。また道元禅寺様も坐禅だけでなく食事を作ること、掃除をする事等、全ての行いが修行であり、その真剣な繰り返しが僧侶としての本物の自分を作るのだと言われています。
一世一代の決心が三日坊主になることが我々にはよくあります。芽吹き桜も開花するこの季節、多くの若者が新しい世界へ期待と不安を持って歩みを進めます。いくつになっても遅いなんて事はありません。我々ももう一度、御教えを胸に新しい気持ちで一歩一歩仏の道を歩んでいきましょう。 もっとも我々僧侶が三日坊主だなんてしゃれにもなりませんからね。
札幌市 龍興寺
高垣 晶敬
高垣 晶敬