「東北旅行」
これは町の子供たちと一緒に東北に旅行に出かけた時のお話です。
私の住む伊達市の駅から函館へさらに青森から仙台へと電車を乗り継いで目的地まで向う一泊二日の行程です。その日は前日からの大雨で電車のダイヤは大きく乱れ2時間以上待っても一向に電車はやってきません。私たちは乗る予定だった電車をあきらめ、一本早く到着する電車に振り替えて乗る事に決めました。予想通り満席の電車には私たちの座れる席はありませんでした。通路に座り込み過ごす函館までの時間は、大人でも辛く、幼い子供たちが耐えられるはずもありません。子供たちは次々に体の不調を訴えだしました。同行の大人たちは子供たちをなんとか励ましながら、空席を見つけようと必死になっておりました。普段なら難なく座ってゆったり過ごせる電車も、時によっては苦痛そのものに変わります。
この時、わたしが残念に思ったのは天気のせいでも電車のせいでもなく、誰一人として子供たちに声をかけ、行動する乗客がいなかったことです。せっかく座れたこの席を譲れば自分が損をする。なぜ見知らぬ者に譲らなければならないのか。何の徳もないことだ。知らぬ存ぜぬ無関心。これが今の世の中なのかと目の前に突きつけられたような寂しい気がしました。この時の子供たちは一体、何を感じたのでしょうか。社会の中で人の優しさに触れずに育つ子供たちは、果たして本当に人に席を譲ることが出来る大人へと成長してくれるのでしょうか。知らぬ存ぜぬが当たり前のように思ってしまうのではないでしょうか。
このままではいけません。私たち一人一人の行いは、そのままが未来へと繋がっているのです。あなたの優しさの行いは必ず人に伝わり、お互いが笑顔で結ばれます。そして、その優しさの行いはさらに人から人へと伝えられていくものなのです。
奥村 孝裕