2013年2月2日放送
普段私達僧侶がお経をお唱えし、最後に御戒名或いは先祖代々等を念じつつ、供養文をお唱えしております。これを回向(えこう)と申しますが、お経の功徳を亡き御精霊さまに回(めぐ)らして向けるという意味であります。
當寺のお檀家さんに、信心厚くご先祖を大切に祀られているお婆ちゃんがおります。先日、曾お婆さんに当たる方の壱百回忌法要を勤めさせて頂きました。無論お婆ちゃんにしても、その家に嫁いだ時にはすでにその方は亡くなっており、遺影でしか顔も知らない仏さんであります。
毎月お婆ちゃんの家に御回向に伺うと、仏壇には沢山のお花と供物が供えられております。聞けば命日には必ず子供達や親戚、近所の方々がお参りに来てくれるそうで、お茶を飲みながら仏さんからの御相伴を賜り、供物をみんなで分けて頂いてるそうです。供えた供物を頂戴する、これは仏さんから私達への供養、回向であります。供えられた供物を回らしお参り下さった人達に向けて食べて頂く。
御回向が終わり、お茶を頂きながらお婆ちゃんは決まってこの言葉を口にします。 「方丈さん、私がこの歳まで元気でいられるのも沢山のご先祖さんに護られているからだ。有難いよ。ご先祖さん粗末にしたら罰当たる。」
どうでしょうか、私達は然もすれば自分の生命は自分だけのものと勘違いしがちです。しかしながら先祖代々から生命の継承を授かり、又これからも子孫へと伝えて行かなければ為らない大切な自分の生命であります。 生命を伝えてくれたご先祖に、感謝をし恩に報いる。それを形で表すのが供養であり、回向であります。
顔も知らないご先祖さん方に護られているからこそ、供養を形に表し御回向に徹する。お婆ちゃんの仏心に唯々頭が下がります。
峰田 謙二