法話

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2011年9月24日放送

法話   2011/09/24
2011年09月24日放送

物事の状況には、『ありのまま』の状態があります。意味をつけたり、名前をつけたりする以前の『ありのまま』の世界があります。その『ありのまま』の感覚を会得すること。これが仏の道の根幹であると思われます。
では、その『ありのままの状態』を説明いたします。
人間の目で物事を見る時、そこに価値や評価が起こります。しかし、犬や猫、動物たちの目線で世界を見る時、ただ見え、聞こえ、その事実、出来事があるだけです。天気が良いとか悪いとか、プラスだマイナスだ、損した得したとかは、すべて人間の自分を中心とした価値判断でありましょう。
こういう人間的な評価をつける以前の清らかな状態を、ただひたすら、と書いて『只管(しかん)』と言います。 この『只管』とは、あなたが今向かっている目の前のこと。すべてが元々人間の考えや想念で色づけされていないこと。つまり『ただ』です。 あらゆる思想や主義、思いを交えない、ただ、そのままの状態。物事に良いとか悪いとか、買ったとか負けたとか、忙しいとか暇だとか、好きとか嫌いとか、このような思いを起こす以前の世界・精神・自己の姿であります。
お釈迦さまはこのことを、仏教の本質であると説かれ、すべてのことに評価をつける以前の世界を知ること、気付くこと、そういうまなざしを持つことが真の悟りであり、また、そこに住することが、涅槃・彼岸・菩提の道である、と示されております。
何ものにもとらわれない、なんでもなく、あたりまえで、すがすがしい、ありのままの精神状態『只管』。そこを悟ることができれば、人は誰でも大安楽へと導かれることでありましょう。

標茶町 瑞龍寺
西嶋 隆元

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