法話

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「活きながらにして」

法話   2013/06/22
2013年06月22日放送

「五十四年、第一天を照らす。箇の跳(ぼっちょう)を打して、大千を触破(しょくは)す。(いい)、渾身覓(もとむ)ることなく、活きながら黄泉に陥つ」
この言葉は、曹洞宗の開祖、道元禅師様の遺偈(ゆいげ)です。遺偈とは、禅僧が死ぬまぎわに、仏教の真理を詩や歌の形で述べたものです。道元禅師様は晩年、福井県の永平寺で厳しい修行の日々を過ごしました。五十三歳で病に冒され、良い医師のいる京都にのぼり、療養しますが、その甲斐もなく亡くなりました。意訳すると、「五十四年間の生涯にわたって仏の世界を照らしてきた。もう何も追い求めたり、執着するところはない。こうして生きてきたように、あの世に行く」となります。「活きながら黄泉に陥つ」の解釈は定まっていないようですが、私は、道元禅師様は「あの世に行っても悟りを求めます」「あの世から悟りを説きます」とおっしゃられているのだと思います。
子供の頃、お仏壇の前で「ご先祖様はちゃんと見ているんだから、悪いことをしてはいけませんよ」と言われた方も多いことでしょう。亡きご家族はあの世から私たちのことをずっと見守りつづけてくれているわけです。つまり、あの世の亡き家族とこの世の私たちは照らし合っているということです。お仏壇の灯明やお花を見ればそのことがよくわかります。灯明やお花は、お仏壇のお位牌や仏様を美しく明るく飾ります。その美しさ明るさには「亡きご家族や仏様が、私たちを見守っていますよ、照らしてくれていますよ」という意味が込められているのです。ですから、この世に生きている私たちはご先祖さまに顔向けできるような生活を送ってゆけるように、努力しなければ、なりませんね。

神恵内村 天龍寺
平井 一寛

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