無常
おはようございます。愛別町金剛寺 篁泰彰です。
もう12月になり皆様お忙しい時期だと思います。年末の大掃除や今年中にやっておかないといけない事、新年に向けての準備やあれやこれや何かと忙しい日々を過ごされているのではないでしょうか。
今日皆様にお話したい事は修証義第一章第三節の冒頭に書かれている「無常」という言葉です。
皆様は「無常」と言う言葉を聞いた事がありますでしょうか?無常と聞いて一番最初に思い出す言葉は平家物語の冒頭、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という無常ではないでしょうか。
この無常とは「常には無し」、いつも同じ状態ではない常に変化していくこと、と言う意味の仏教語であります。これをよくよく自分自身に置き換えて考えてみます。もし、自分が怪我や病気になり、自分自身の体が当たり前に動かせない。普段だったら出来る掃除や洗濯、普段だったら美味しく頂ける食事や楽しみにしていた予定、そういう物が当たり前に出来なくなります。普段何気なく動かしている自分の体でさえいつまでも普通に動くとは限らない。これは身体だけではなく、なんにでも言い当てはまる事です。
私達は日々の暮らしの中で自分が生きている事が当たり前で自分の思う通りにならないと不機嫌になったり、怒ったりして気持ちを不安定にさせてしまいがちです。しかし、無常の観点から見ると変わらないものはないのですから今回は自分が思っていた様には変わらなかったというだけで何も自分の気持ちを不安定にする必要はないのです。また、自分が当たり前に思っているものも当たり前ではなく実はありがたい事だったと気付くきっかけになるでしょう。
もうしばらくしますと新しい年がやって来ます。皆様の日々も無常に過ぎ去っていくものだと思います、ですがこの無常をただ漠然と過ごす無常ではなく、今までしたかったけど諦めていた事、やりたくても一歩踏み出せなかった事をやってみる気持ちを是非持ってもらいたいと思います。大丈夫。きっと出来ます。だってこの世は「無常」なのですから。
篁泰彰


