照顧脚下
おはようございます。札幌市常禪寺目黒全章です。
「照顧脚下」自分の足元をよく見なさい、という禅の言葉があります。自分が脱いだ履物を揃えなさい、という意味でよくお寺の玄関やトイレに「照顧脚下」という張り紙があるのを皆さんも目にされたことがあるかと思います。
私が修行をしていた大本山永平寺のトイレにもこの「照顧脚下」という張り紙がありました。
私が永平寺に上がった最初の年、古参和尚さん(先輩の和尚さん)から、参拝者が使うトイレのスリッパが乱れていたら、きれいにそろえるようにという指導を受けました。それから修行の合間を見て毎日4,5回トイレのスリッパを揃えていましたが、何度きれいに揃えてもしばらくたって見に行くと、スリッパたちは見事に乱雑に脱ぎ散らかされていました。
私も初めの頃は毎回スリッパをきれいに揃えておけば、参拝者もきれいにスリッパを脱いでくれるだろうと期待しつつ、正直面倒くさいなあ、と思いながらスリッパを揃えていましたが、一向に状況は改善されず、私はせっかくきれいに揃えたスリッパを脱ぎ散らかす参拝者に軽い憤りも覚えていました。
しかし、それから更に日が経ち、毎日トイレのスリッパを揃えているうちに不思議と面倒くさいという気持ちや参拝者に対する思いもなくなり、スリッパを揃えるという行為が私の当たり前の日常になったのです。
大本山永平寺七十八世宮崎奕保禅師は生前、「スリッパを脱ぐのも坐禅の姿だ。スリッパを揃えるのが当たり前のことだ。スリッパがいがんでいる、ということは、自分がいがんでいる。自分がいがんでいるから、いがんだスリッパが直せないのだ」とおっしゃっていました。
「照顧脚下」という言葉には単に履物を揃えるという意味だけではなく、自分自身を顧みるという意味もあります。
これは、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめなおしなさいという私たちへの戒めの言葉でもあろうかと思います。
最後に、大本山永平寺を開かれた道元禅師の言葉を紹介して終わりに致します。
「佛道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」正法眼蔵現成公案より。ご清聴ありがとうございました。
目黒全章


