懺悔滅罪
おはようございます、小樽市 圓龍寺 桑田知道です。
曹洞宗には「修証義」というとても尊いお経がございます。開祖道元禅師様が残された「正法眼蔵」を元に、我々僧侶だけではなく、檀家様はじめ全ての方々の生活に通じるように作られた経典です。明治に作られたこの「修証義」は、今尚我々曹洞宗の僧侶にとってかけがえのないお経となっております。
この「修証義」は、第一章から第五章までの五つの章に分かれております。本日は、その中の第二章「懺悔滅罪」についてお話ししたいと思います。
懺悔とは、何か悪いことをしたときに、自分の心のなかで罪を認めることを指します。懺悔することによって、その罪が和らぐというのが、この懺悔滅罪の意味することになります。
では悪い事というのはどうやって発生するのか。これを断てば、懺悔することも無いのではないか。という疑問が上がりますが、どうやらこの世に生を受けた私たちは、必ず何かしらの悪い事(業)を起こしてしまっているようなのです。誰にも迷惑をかけず、一度も過ちを犯さず今まで生きてきた人はいないでしょう。自分の過ちを懺悔すれば、その罪は和らぎ、心は強くなって前に進める事と思います。
そして、このお経の素晴らしいところは、自分の罪を認め、心からの懺悔をするという行為は、自分自身が気づいておこすのではなく、自分の心の中にある「仏心」つまり仏様が起こしてくれているのだというのです。自分の罪を自分が認め、自分で懺悔するのでは限界があります。全ての罪に心の底から懺悔するというのは、煩悩を持っている我々には難しい事なのです。心の中の仏様の力をお借りし懺悔する事で、人の心は清らかになるでしょう。
皆様も何か自分の心のなかでもやもやしたものがあったときは、仏様に手を合わせ、懺悔してみてはいかがでしょうか。
桑田知道