生きている、生かされていることに感謝~ありがとう~
おはようございます。札幌市禅林寺 日比健士です。
皆さんは、人間に生まれた幸せ、生かされている幸せに、感説の言業「ありがとう」を、毎日口にしたり、思ったりしていますか。「毎朝目覚めるのがあたりまえ、生きているのがあたりまえ」と思っていませんか。
「有り難い」という言葉は「ある事が難しい」、「存在する事が難しい」と書きます。すなわち、稀である、奇跡であるということです。奇跡の反対が、「当然とか、 あたりまえ」です。
何でも「あたりまえ」と思ってしまうと、そこには感謝の心が生まれません。「ありがとう」と感動の気持ちを毎日毎日、口にしたり、思ったりすることによって「あたりまえ」という認識が消えて、自然と「ありがとう」が身近なものになるはずです。
お釈迦さまの教えの中に、「有り難い」という「感謝」の言葉が出てきます。「人として生を受けることは得難いこと。やがて死を迎えるこの生命であっても、今、生きていることは有り難いことである」という教えです。
お釈迦様は、「生きとし生けるものは、数限りなくあるけれども、人間として生まれてくるということは有難いことで、減多にない稀なことなのだ」と説かれたわけです。
縁あって数多く存在する命の中で、この世に人として生を受けたということは、間違いなく意味があるに違いありません。その人にしかできない、何か特別な役割があるのだと思います。必要とされたから生まれてきたとしか思えません。
幸せって人それぞれですが、「いま生きている、生かされている」と素直に思えることが、幸せなのではないでしようか。
自分を支えてくれる多くの命に感謝して、騎ることなく、またその命を組末にすることなく「ありがとう」と感謝しながら生活していきたいものです。
日比健士


