他人の思いやりに触れて
おはようございます。小平町興聖寺 仙石 景章です。
令和六年のことです。我が家では正月に家族が帰省した際に、集合写真を撮るのが恒例になっています。元日の夕方、暗くなる前に、撮りましょうということで、部屋に集まり準備をしているその時に、テレビから緊急警報が流れました。なんだろうと皆がテレビに注目すると、能登半島で地震だとのことです。
日が経つにつれて被害が甚大であることが分かってきました。我が家もそうしたように帰省した家族との再会に、賑やかにしていたその最中に、突然の災難に襲われた人たちのことを思うと、言葉もありません。
平成十六年十二月十四日、留萌支庁南部を震源とする地震が、発生しました。私の地元小平町も大きな揺れを感じました。人命に関わる大事には至りませんでしたが、余震が昼夜を問わず続いていました。そんな状況の中、遠方から、知人が両手に、飲み物や食べ物を抱えて訪ねてきてくれました。恐らく道路状況もよくないところを遠路駆けつけてくれました。涙が出そうになる程有り難かったこと、今でも忘れることが出来ません。人が困難に立ち向かい、互いに他を思いやることの有り難さを実感致しました。
一方、ユーラシア大陸や中東の一部地域では悲惨な紛争が、終わる見通しも立たず、続いています。ここには、人間の奥底にある愚かさや、他の存在を認めない暴力性が現れているように思います。
お釈迦さまは、「無諍」の教えを説かれました。無諍の無とは、無いという字、そして諍とは、言編に争うという字です。お釈迦さまは「私は世間と諍わないのに、世間が私と諍う」と語られました。あらそうことの愚かさ、相手を思いやることの尊さを、考えてみなさいということです。
重大な災害に逢った時の人々の振る舞いや、世界中の紛争の当事者の言動に触れてみて、このお釈迦さまの教えは、私たちにとって、とても大切なことを説かれていると、言えます。皆さんも今一度、この教えの意味を考えてみてください。ご清聴有難う御座いました。
仙石 景章


