無心に生きる
おはようございます、札幌市 祥龍寺 長谷泰広です。
今の時期札幌は最も過ごしやすい好時節、皆様どうお過ごしでしょうか。
私の住む手稲の山も雪がすっかり無くなる時でもあり、一気に、新緑が芽生え、夏の訪れを感じつつ、特にこの時期は自然界の躍動を強く感じている人は多いと思います。花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ。
花開くとき蝶来たり、蝶来たるとき、花開く。
この言葉は良寛さまの詩にある最初の一行ですが、花に蝶を招こうという心があるわけでもなく、蝶に花を尋ねようという心があるわけでもない。
でも花の開くときは蝶が飛んで来る。蝶が飛んで来る時には、花が開いている。
只々、うなずくばかりです。
蝶は花から蜜をもらい、その蝶に花は、花粉をつけてやります。これで蝶と花の子孫は繁栄してゆくのです。なにもかも自然まかせ、無心というのが素晴らしく、自然の仕組みの見事さに感心してしまいます。ところが人間に目を向けると人間同士の自己中心的な考えでは、到底大自然の恵みに感謝できるはずがないと思います。人間の愚かさに只々恥じるものです。その要因の一つとして、現代社会において心にゆとりを持つことが出来ず、ストレスを抱え知らず知らずに、自我を見失いがちだと思います。そんな時だからこそ、自己を見つめる事です。事故を見つめるには、座禅をお勧めします。私のお寺でも、座禅会をしておりますが、心静かに、姿勢を調え、呼吸を落ち着け、只々座っているだけで、心も体も軽くなります。又より無心に座っていると、小鳥のさえずりなども聞こえてきて、大自然の中に身を任せ行きている本来の人間の姿に戻り、おのずと大自然に感謝の気持ちが湧き、大自然に生きているのでは無く、ただただ生かされている事に気づかされるものであります。
長谷泰広