「而今」
法話
2018/01/27
2018年01月27日放送
この国は『安全』『安心』という言葉は、もはや死語になってしまいました。ニュースを見ると国内では殺人など悲惨な事件が、一方国際的には、きな臭い話ばかりです。これでは安心(あんじん)を得られることは出来ません。
『あんしん(安心)』を仏教では『あんじん』と読みます。
私が子供の頃、車好きな経営者がいました。その人は、せっかく高級車を買ってもすぐ新しい車を求めます。次から次へと買いかえるのでした。車検は勿論、修理する暇さえする暇が有りません。現在のように自動車が普及していない時代でしたので、とても印象的でした。一方、奥さんは宝石等ブランド品を次から次へと買い漁るいわゆる買い物依存症でした。この二人は、やがて物だけではなく人に対しても飽きるようになり従業員を次から次へと替えるようになりました。そして、しまいには、あろうことかお客様に対しても選り好みをするようになってしまいました。
おそらく人を、替え物を替え続けても満足することなく『安心』を得ることが出来なかったのでしょう。どんなに不安に毎日であっても逃げてはダメです。この一瞬一瞬を真剣に生きるのです。明日は単なる希望にすぎません。昨日はたんなる記憶にすぎません。
道元禅師様は「この一日の身命は尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり」とお示しです。今日、この一日を生きている而今(いま)ここにある生命(いのち)はかけがえのない生命であり替えることのできない身体です。
札幌市 大慈寺
佐々木 知生
佐々木 知生