「弔い」
東南アジアにミャンマーという国がございます。ビルマとしてよく知られた国であり、敬虔な仏教国でもあります。また、色々な意味で日本との繋がりの多い国でもあります。
ビルマといえば一番有名なのは「ビルマの竪琴」という映画でしょう。太平洋戦争の時、ビルマは「インパール作戦」のもと多くの戦死者を出した激戦地でもありました。その際の亡くなった戦友をビルマに残り弔うというのが大まかな話です。
ビルマでは男子は人生で一度は出家しなければいけないという国です。都市や田舎、山岳地域に関わらず多くの僧院があり、いたるところにパゴダと呼ばれる仏塔があります。私もビルマを旅行した際、泊まるところもない山岳地域では僧院に泊まらせてもらいました。
とある山岳地帯の僧院で一泊させていただいた際、そこにいた年老いた僧侶が片言の日本語で話しかけてきました。外国人など全くいないビルマの辺境に現れた日本人の私、そして太平洋戦争中に日本軍の荷物を輸送するのを手伝っていたというお坊さん。何か深い縁を感じました。
その地域でも当時は敗走を続け、途中で病気、怪我により倒れた日本兵が沢山いたそうです。そのお坊さんは今でも日本兵の供養をしているという話でした。
彼は私を小さくて粗末ながらもよく整理されたお墓に連れて行ってくれました。そこには錆びて朽ち果てようとしているヘルメット、飯盒、水筒が置かれ、周りには花が供えられていました。
ビルマ全土にはこのように先の大戦で亡くなった兵隊の霊を慰めている慰霊碑やお墓がたくさんあるそうです。国で作られたもの、または近隣の住民が遺骨を拾い、合祀しているものなど、様々です。
戦後70年が経ち、もう戦後ではないと言われる世の中ですが、亡くなった人を供養するということに過ぎた時間は関係ありません。私たちも改めてご先祖様の命日など、色々な節目で亡くなった方のご冥福と感謝を込めてもう一度供養とは何かと考えてみてはいかがでしょうか?
谷口 絋人