2013年3月23日放送
法話
2013/03/23
2013年03月23日放送
私は五年前の正月に不注意で大火傷を負い札幌医大へ運ばれました。そして、計四回の手術をしましたが、その中三回は手術の後、一週間俯(うつぶ)せのまま過ごさなければなりませんでした。顔を洗うのも食事をするのも全て俯せのままでした。その時私は正岡子規の『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』という本の中で『悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。』と述べているのを思い出しました。
又、病院のベッドで聞いたラジオに島津亜矢さんの『波』という歌が流れていました。
雄たけびあげて 逆巻く波に
呑まれ叩かれ はいあがりゃ
板子一枚 天国・地獄
明日の行方は 知らないけれど
風に向って 舟を漕ぐ
これは二番の歌詞です。とてもいい歌です。
私たちは「生死」という海の中にいるようなものです。いつも順風満帆という訳にはいきません。むしろ逆風や嵐の方が多いでしょう。それでも生きて行かなければなりません。
「生死事大 無常迅速」生きるとか死ぬとかそんな大事な事はありません。それでもあっという間に過ぎていきます。今こうしている間にも時は刻まれています。「今」の「イ」と言っている間は「マ」は来ていません。「マ」と言った時には「イ」はもう通り過ぎています。一日一日を、いや一瞬一瞬を大切に過ごしたいものです。
札幌市 大慈寺
佐々木 知生
佐々木 知生