2013年3月2日放送
私事ですが、今日3月2日は私のお寺の先代住職の祥月命日であります。
祖父でもある先代住職は私が産まれる8年前に亡くなっており、当然お会いしたことも、声を聞いたこともございませんが、両親や御檀家様から私のお寺の住職をすることとなった経緯をお聞きしたことがあります。
先代住職は富山県の出身で、お寺の子どもとして生まれたわけではなかったそうです。小僧としてお寺で生活したことはあったそうですが、社会科の教職員として富山県の学校に勤務していた、とのことでした。
ある夏休み、たまたま北海道の小樽の親戚のところへ来ていた時、私のお寺「徳源寺」の当時の住職が体調を崩して、お盆のお参りができなくて困っている、という噂を聞いたそうです。小僧をしていた経験から、お経を読む事ができた為、「徳源寺」を訪れ、お盆のお参りを手伝ったそうです。それがきっかけとなり、後に「徳源寺」の八代目の住職となったわけであります。
もしも子どもの頃の小僧の経験がなかったら、もしも親戚が北海道の小樽にいなかったら、もしも住職が体調を崩しているお寺の噂を聞かなかったら、先代住職は「徳源寺」の住職になることはなかったと思います。そしてわたしの父である現在の住職と母も出会うことはなかったと思いますし、「わたし」という人間も存在しなかったと思います。
すべてのものは、些細な偶然をきっかけとして大きく変化をしていきます。わたしという人間が存在すること自体、偶然に偶然を重ねた奇跡のようなものであります。
「今、こうして生かされている」ということが奇跡であるということにお一人でも多くの方が気づくことができれば、世の中に満ち溢れている不平不満も減り、素晴らしい世の中になっていくのではないかな、と思います。
吉田 敬徳