2010年9月18日放送
今日も元気にあいさつを交わされたことと思います。
さて、私たちの日常生活の中には沢山仏教から派生した言葉があります。 その一つが「あいさつ」です。あいさつは仏教語でも特に禅語といわれるものです。 広辞苑で調べてみると、門下の僧が互いに問答をかけ合い、その悟道・知見の深さ、浅さを試してみるとあります。お互いに問題を出し合い、どれくらい理解し、実践しているかを試しあうことを「あいさつ」といいます。
挨拶はお互いのコミュニケーションへの潤滑油です。例えば、昨日の朝、私に気持ちよく挨拶してくれた向かいのアパートの奥様、今日の朝はしてくれませんでした。昨夜、何かあったのかな?と私は心配になります。
あいさつの「あ」は挨拶をするときは相手の目線でする、相手の「あ」です。例えば、子供には子供の目の高さで、病気のお見舞いに行った時には、寝ている人のベッドの目の高さで声をかけるのです。
次のあいさつの「い」はいつもすることの「い」です。今日はするけど明日はしないというのではないのです。今日の朝の向かいの奥様のようにです。
さて、次のあいさつの「さ」は人よりも先に声をかける先の「さ」です。自分の知っている人から通りすがりに先にあいさつをされると、大変とまどうことがあります。ですから人よりも先にするのです。
次のあいさつの「つ」はあいさつの後には付けたしをする、付けたしの「つ」です。おはようございます。次に今日は暑いですね。と付け加えることによって、次の会話へと進みます。
言葉はコトダマ・心の霊(たましい)として人の心の中のあり様や思いを伝えます。日常生活の中で何気なく使っている「ことば」や朝夕の挨拶には他を思いやる心、やさしさや心を働かせる思いやりが形として見えてくるものです。渇かない心、渇かない人間関係のためにも心して挨拶をしたいものです。
松村 俊昭