行事報告

第22回「禅をきく会」札幌会場報告

行事報告   2008/11/07

開催日時:平成20年11月6日 18:00~20:30
場  所:札幌パークホテル 地下2階パークホール
〒064-8589北海道札幌市中央区南10条西3丁目 TEL011-511-3131/ FAX011-531-8522
講  師:曹洞宗特派布教師 副島豊道師 演題「刹那に生きる」
      狂言師・人間国宝 野村万作氏  演題「人間国宝 野村万作 芸と人生を語る」
参加人数:約800名
他スタッフ37名(札幌禅林青年会・関係業者)
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 去る11月6日、午後6時より札幌パークホテルを会場に、第22回「禅をきく会」が開催されました。前々日には札幌に初雪が観測されましたが、当日は小春日和の如き好天に恵ました。この天候に味方されてか開場の2時間前から聴衆が集まり始め、予定より30分早めて17時に開場。会場内の800席はあっという間に満席になりました。

定刻。主催者を代表し、藤原重孝教化センター統監の挨拶。

年頭の大本山永平寺宮崎奕保禅師の遷化に触れられ、「お仏壇にお線香を供え、姿勢を正し、呼吸を調える」という故禅師の「誰にでも、すぐにできる只管打坐」を紹介し、先祖・両親を敬うという人間本来の精神の欠如が、凶悪な事件が多発する背景にみてとれる、と現代の世相を喝破されました。

今回の禅話の講師である副島豊道師は昭和49年生まれの新進気鋭の特派布教師。

対照的に、野村万作氏は昭和6年生まれで狂言師としては、既に老境である。

この、お二方のコントラストが実に、印象的な「禅をきく会」となりました。
副島師が勢いよく、歯切れ良いことばで、自身のご境涯を示す。一方の野村師は、精一杯声をふりしぼり、語りかけてくる。

野村師は狂言の大曲といわれる「釣狐」を得意中の得意とされている。このことについて、「キツネにとりつかれた」と語っておられました。中でも印象的であったのは「若いころは体力に任せて、本物のキツネのように跳んだり撥ねたりした。所が、歳をとるとそれができない。今は、いかに動かないで、本物のキツネを表現するか…。ということに重きを置いている」というお言葉でした。

このお話を聞いて、私は故禅師のことばを想起しました。それは、この「禅をきく会」のイス坐禅についてでした。当初、故禅師は「坐禅は脚を組むものじゃ」と否定されておられました。
所が、ご自身がご高齢になられてからは、いつしか「イスに坐っていても、坐禅は坐禅」と「椅子坐禅」をむしろ積極的に肯定されていた、ということでした。

高祖道元禅師は54歳でご入滅されました。故宮崎禅師は丁度、その倍のご寿命であったわけでですが、そこから考えると、高祖様の弁道は気力・体力が充実している状態の修行形態であるといえます。現実に、高祖さまは腫瘍ができ、約半年程のご闘病で入滅されたそうですが、当時の貴族などは、平均して発病から一か月ほどで死ぬ病だったということを考えると、半年も闘病なされたことは、並外れた体力と精神力の持ち主であったことは想像に難くありません。

一方、故禅師の「椅子坐禅」に関する価値観の転向は、ご高齢による高祖道の新展開を示すものであり、これは修行を緩くするとか、懈怠を生ずるということではなく、只管打坐の新局面を示唆するものでした。

今や我が国は超高齢者社会になりつつあります。ここで私たち宗侶は、決して大衆に迎合するのではなく、むしろ積極的に「老境と病床にあっての只管打坐」について本気に取り組む時期がきているのではないでしょうか。

と、お二方のお話を頂戴して考えさせられました。

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