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心の垢すり

法話   2019/11/23
2019年11月23日放送

おはようございます、函館市 高龍寺 永井正人です。
先日法事でお寺を訪れたお檀家さんは、垢すりの大好きな方でした。温泉に行くと必ず垢すりを頼むそうです。かたや私は垢すりの類が大の苦手。温泉でも頼んだことがありません。
「方丈さん、いいもんだから一回やってみなって。ゴッソリ、とれて、スッキリ、するから。いつのまにこんなに溜まってたんだって思うくらい」ですって。
この「垢」、なにも体だけとは限りません。心にも垢がついていきます。それを仏教では、「我執」とか「我慢」とか言います。いま我々が一般に使う我慢の意味ではなく、どちらも自分に執着する心、自分を永遠不変のものとして、特別視する心のことを言います。自分が特別だからこそさまざまな「おかげさま」が見えず、自分に執着するからこそ他人のことをないがしろにし、自分を永遠と思うからこそ必ず来るはずの老いと死を怖がる。わかっていてもこの「我執」という垢は簡単にとれはしません。
しかしこの垢を取り去ったときはどうでしょうか。先のお檀家さんの言葉を借りるならば、「スッキリ、する」んだそうです。体の垢と同じように、この心の垢がとれると、中から「仏性」すなわち仏さまの素が現れてきます。
衆生本来仏なり
水と氷の如くにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
これは、江戸時代の臨済宗の高僧白隠慧鶴禅師の詠まれた歌の一部です。しかし、自らが仏であることに気づかず、自らの仏を垢で覆ってしまっている人の何と多いことか。であれば、その垢、お寺で落としてみませんか?座禅で。お説教で。お経で。法要で。合掌で。体の垢を落とすのは苦手ですが、心の垢を落とすお手伝いはできそうです。一緒に心の垢、落としていきましょう。
最後にお檀家さんからの言葉をもう一度お借りします。
「いいもんだから、一回やってみなって。」

函館市 高龍寺
永井正人

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